先日、入院していた父が亡くなり、後始末のもろもろのことが降りかかってきた。最大の問題は売れない農地や宅地の不動産(負動産!)処理だ。山林もあるが、場所さえ自分はわからない。父の生前中にいろいろ聞いていおけばよかったと思うが、後の祭り。不動産の登記から始まり、近い将来は建物の解体もしないといけない。もちろん、すべてお金のかかることである。お金と手間暇を考えると気が重くなる。
そして、土地を持つ農耕民(定着民)は放浪する遊牧民より文明的だと信じてきた人類(自分?)が浅はかだったと痛感した。土地を持つこと=財産を持ち安定した生活、というのは今でもマイホームを購入したいと思う人みんなが信じているだろう。でも、それは財産を誰かが(子供、孫)が相続するだろうという暗黙の前提があるからだ。でも今の時代はそれが当たり前だろうか?
少子化の今の日本で、子供に何かをすべて負わせるというのはもう無理な気がする。最たるものの一つが墓である。都会に生活する一人息子(娘)に先祖代々の大事なものだからという理由だけで田舎の墓を受け継げと言えるだろうか。信仰の在り方も含め、もっと自由に考えないといけない時代になっていると思う。
確かに食糧確保の点で不安定だったかもしれないが、遊牧民は自由に生きる場所を選べただろう。持てるだけの道具(財産)だけで満足する生き方、自然や動物と共存する思考を持っていることは素晴らしいことのような気がする。たかだか、相続問題だけで大げさかもしれないが、彼らのような生き方に憧れてしまった。
0コメント