映画『主戦場』見て

 本日、話題の映画『主戦場』を見てきた。慰安婦問題に取り組む人たちと、逆に反対する右派や歴史修正主義者の人たちを日米韓三か国でインタヴューしてまとめた作品である。「反日」的であるとの理由で上映反対派により混乱や中止に追い込まれた地域もあったらしい。この種のテーマではまさに主張がぶつかり合うだろうが、それ以上に怖いのは反対者の意見を聞こうともしない姿勢である。自分にとって面白くない意見はあるだろうが、「一応聞く」という姿勢が寛容というものだろう。確かに最終的な映画の方向として反安倍的な面はあったと思うが。

 慰安婦の存在をめぐる議論で、存在を認めない反対派の人たちは「強制連行した資料が無いから慰安婦は存在しなかったのだ」という論理を展開していた。どこかで聞いた理屈と思ったら、「モリカケ」や「サクラ」の時と同じなのだ。両疑惑に対して、財務省の資料改ざんや内閣府の名簿破棄によって「資料がなくて確認できないから間違ったことをしたとは証明できない=問題ない」と安倍政府はさんざん言ってきた。構図は全く同じである。資料と事実の論理関係で言えば、「事実があれば資料がある」命題の対偶=「資料が無いから事実がない」を主張しているのだろうが、そもそも前提の「事実があれば資料がある」命題が成り立たない現実がある。現政府と同じように戦争末期に資料を処分したかもしれない。だからこそ、名乗り出た女性の声に耳傾けて「事実をさぐる」姿勢が必要だと思うのだが。反対派は「民族のメンツ」をかけて拒否するのだろう。藤岡信勝氏(正しい歴史教科書をつくる会)は「国家は謝罪してはいけない」と断言していた。

 杉田水脈議員が「日本人は昔から嘘を言ってはいけないと教えられてきた国民で、朝鮮や中国の人は騙される方が悪いと教えている」というあからさまな差別的発言していたが、それよりも自分の身近にすぐ嘘を言って、疑惑を逃れようとする首相がいるのをどう見ているのだろうか。長州出身の政治家は「誠」の心は嘘つかないことだとは思っていないのかもしれないが。

 2007年、第一次安倍政権時の映像があった。国会で目をつぶって寝ている?風な麻生氏の姿は今も昔も同じだった。「歴史教科書を正す議員連」(正式名称忘れた)のメンバーみたら、今の安倍政権の重要ポストにいる人がみんな揃っていた。西村、稲田、衛藤、萩生田氏、12年前から同じで、本当に「お友達」なのであると再確認。

永遠の安らぎ

サイトのURL avyaya nirvana はサンスクリット語で「永遠の涅槃」  自分が老いていく中で、自分が見たもの、感じたものを通じて安らかな日々を得たいと思っています。

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