日韓の対立の終結が見えない状況だ。ことの発端は徴用工問題で安倍首相の堪忍袋の緒が切れたということなのだろうが、慰安婦問題、レーダー照射問題など昨年からの問題がついにここまで来たかという感じ。政府が公式には否定していても、輸出管理という名の「嫌がらせ」であることは間違いない。一方、韓国側も対抗して、第二の独立運動をやる、といってみたり、やたら威勢のいい発言をしている。日本側は文在寅大統領は親北の左翼政権と言って憚らないし、韓国側は安倍政権を極右政権と公言している。欧米や東南アジア諸国から見たら、この対立はどう映るのだろうか。
日韓とも「どっちもどっち」と思っているのではないだろうか。日本が36年間朝鮮半島を植民地支配したことは間違いないことだし、「強制的か自主的にか」は別にして、女性を性産業につけさせたり、徴用工として雇用していたことは否定しえない事実だろう。それなのに、植民地支配のおかげで朝鮮は豊かになったのだから、日本に文句を言うのがおかしいと、支配を正当化する政治家や国民も少なくない。でも、その理屈をそのまま当てはめれば、アメリカの占領下で日本は自由な民主国になったのだから、占領を否定して、「占領憲法改正」などと言ってはいけないことになる。要は、植民地支配を前時代の「恥ずべき遺産」と考えればいいのだ。19世紀まで奴隷制が正しいとされていたが、今は「恥ずべきもの」になったように。素直に「昔はひどいことをした」と認めればいいだけだ。
一方、韓国も言いたいことは山ほどあるだろうし、踏まれた方は痛さを忘れないというのも事実だろうが、それでも1965年の日韓基本条約で国際的には国交回復とされているのに、あの条約は間違いであると言い出しては、収拾がつかなくなってしまう。安倍首相でなくとも無理筋というものだろう。結局、日韓とも現政権の支持層を固めるために、相手を罵り、貶めるような発言が多くなってしまう。
要は、どっちもメンツが立たないことはしたくないということだ。相手が少しでも譲歩したり、下手に出てくれれば、収める気もあるが、その反対はない。両国とも歴史的に共通点がある。それは「ミニ中華国家」ということだ。14世紀末に誕生した李氏朝鮮は朱子学を国教とし、本家の中国が清朝(満洲族の征服王朝)になると、清こそが夷狄であり、朝鮮こそが正しい国家であるという中華思想を持つ。江戸期の日本でも、水戸学を始めとして「神国日本が世界の中心」とするこれまた中華思想が前面に出てくる。両国はどちらも、正統とか名分を掲げ、自分たちこそ正しいとする発想が昔からあったのである。戦後の経済復興の中で、霞んでいた「(本当は)俺が一番」という思いが、共に経済が不透明な中で、湧き上がってきたように思える。両国は歴史的に紀元前からかかわりがあるし、顔だって、言語だって似ている兄弟なのだ。でも互いに「俺が一番」という発想が互いを遠ざけている気がする。だから、「どっちもどっち」なのだ。
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