ペットの老犬を「しつけ」と言って腹蹴りした映像がネットにながれ、義憤に感じた愛護団体が犬を保護したとか。ワイドショーでも犬好きの司会者が怒っていた。コメンテーターのある女性は「日本も先進国のように犬をモノでなく権利者として認める法が必要」と言っていた。ペットを欲しいと思わないので、飼っている人の愛情はわからないが、いろいろと突っ込みを入れたくなる。
ペットの動物(生物)とそうでない動物(生物)の差は何か。ゴキブリをペットとして愛する人がいたなら、先ほどのコメンテーターはその人を生物愛護者として優しく接してくれるだろうか。ペットとそれ以外の存在の区別が自然界にあるわけではない。ペットという存在を有らしめているのは人間の思考(理性)でしかない。自分とそれ以外を明確に区別し、他者をさらに自分との関係(有用性)で線引きをしているだけではないか。この発想はまさに西洋的思考そのものだ。「クジラは食べるな、牛は食べて良い」という欧米人の考えについていけないのはここにある。自分たちの文化によって線を引いてそれを絶対化する。動物愛護にいかがわしさすら感じるのはそこだ。
どの動物(生物)も同じように扱うだけではだめなのだろうか。愛玩動物だけに「人格」を認めなくても、噛みつく危険なものは避け、おいしい動植物には感謝する。区別は自分の理性の絶対性を前提にしているが、そのような絶対的なもの(我・真理)はそもそもないのだという仏教の教えを大切にしたらどうだろうか。そうすればもっと人間同士でも、動植物にも穏やかになれるのではないだろうか。
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