新元号が「令和」と決定。安倍談話では万葉集からの出典が日本人的でよいという。でもそもそも元号自体が中国の制度であるわけだし、漢字を使っている以上、日本的といっても中国文明の縛りからは逃げられないわけで、あまりに「中国からの脱却?」を意識するのは滑稽な気もする。
この一週間ほど、TV各社は新元号が何になるかで大騒ぎであった。天皇崩御の後、あわただしい中で国民に公示されるものでなく、生前退位という、いわば平常時に出される形になったから、マスコミも国民も、言わば「面白半分に」関心があって楽しんだといえるかもしれない。でもやりすぎの感がする。
元号法が存在する以上、元号を今段階でなくすことはできないから、有っていいが、でも本当に「必要」と思っている国民はどれくらいいるのだろうか。「有ってもいい」というのと「必要」では大違いで、現実問題として、年齢確認や証明書の期限などの場合、西暦換算しないとよくわからないことが多いが、これが面倒臭くなるのでは。長寿の方が多いから、明治・大正・昭和・平成に続けて五代の元号が併存することになる。「私は昭和〇〇年生まれです。」といって、すぐに年齢をわかってもらえるのが大変かも。
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