黒・白・灰色

 働き方改革という言葉はいつ生まれたのだろうか。仕事は一生懸命やるもの、やって当たり前の世代からすると、改革を言わねばならないほど現在の労働状況は心身を追い詰める過重なものになっているということか。そういう企業は「ブラック」といわれ、良い環境の所は「ホワイト」というが、「ホワイト」=生ぬるくキャリアアップの障害として、逆に退職する若い人もいるというから、老人からすればどうしたいんだ、と言いたくなるが。

 世の中には白黒で分けられない「グレー」もある。労働条件も整備され、男女格差もなく職階もさほどなく、互いに対等関係で仕事ができる職場として一見羨ましくみえた「ホワイト」職場の一つが学校だった。でも今や学校(教員)は「ブラック」の一つとなっている。長時間勤務、サービス残業(最たるものが、部活動という本来の業務に規定されていない活動。土日が無い人も多い)、保護者らのクレーム処理、多様な生徒への個別対応、研究指定校業務等々、仕事量は間違いなく昔より増加している。文科省は「定額働かせ放題」という言葉が嫌いなようだが、4%の教職手当と引き換えに時間無制限となっているのは間違いなく現実だ。文科省は「ブラック」とは認めないが今の現状が「ホワイト」とも思ってないだろう。なぜなら、教員志望者の激減=教員不足と言う形で学校機能が損なわれている現実があるからだ。とにかく今学校の人手が本当にないらしい。

 建前「ホワイト」、現実「ブラック」の「グレー」職場になっている。その最大の要因は「やりがい搾取」にある。「意欲と理想を持った人が、お金のためでなく、子供のために自分を犠牲にしてもやる価値のある、責任ある崇高な仕事」という教師観=教師聖職論が教員のやる気を無制限に搾取してきた面がある。聖職論は旧文部省だけでなく労働者の前衛党を名乗っていた人たちが主張していたが今も同じなのだろうか。子供のために自己犠牲を当然とするのは会社のために社畜となれというのと同じ構図である。なまじ使命感を持つ方が危険なことは戦前みればわかるのだが。

永遠の安らぎ

サイトのURL avyaya nirvana はサンスクリット語で「永遠の涅槃」  自分が老いていく中で、自分が見たもの、感じたものを通じて安らかな日々を得たいと思っています。

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