『1984』から40年目

 人工知能の新製品としてOpenAI社からChat-GPTの最新版とグーグルの生成AI”gemini”が出たという。反応速度が「人間並み」に進化したとか。門外漢の自分には詳細は不明だが、これから更にコンピュータに頼る(依存する)人間が増えるのだろうという予感だけははっきりある。自分で調べるより(内容の正確さは別にしても)はるかに早く効率的に物事が進むのだろうから、使わないのがむしろ無理になるだろう。仕事だけでなく、私的なことさえもどうするか自分で考えるより、まずスマホに向かって質問したり依頼するのだろう。例えば、プロポーズに何と言ったらいい?進路選択どっちが得か?入社のエントリーシートを体裁よく書いて!・・・。もちろんAIの「ご神託」をどう受け取り行動するかはまだ人間次第だろうが・・・。

 そんなニュースに触れるたびに、1949年に出たオーウェルの近未来小説『1984』を思い出してしまう。「ビッグブラザー」に生活すべてを監視され、行動も指図されるままの管理国家の恐ろしさ、薄気味悪さがテーマとなっていたが、2024年の今では未来ではなく現実そのものである。AIはどこから質問の正解を持ってくるのだろう?もしかしたら、為政者がAIという「ビッグブラザー」を使い特定方向に人々を向けるように設定したら、何でもできるのではないか。人々は嘘の情報でもPCやスマホから答えが出てくれば、それが「客観的」「合理的」なもの=正しいと錯覚するのでないだろうか。逆に、いまや人が意見を言っても「それはあなたの主観ですよね(=信用できない)」の一言で対話が成立せず終わってしまっている。

 「自分で考え、人とコミュニケーションして何かを共有する=社会生活をつくる」という、今まで目指すべきものとされたことが無くなっていくのでは。各個人が自分の答えをAI様からいただき、それが自分の第一義と言い張ったら。第二次大戦の反省として分断から協同の仕組みが作られたが、現在は世界各地で国家同士、国家内で国民同士の分断が進んできているが、AIの発達はそれをもっと進めてしまう気がしてならない。むしろ人々は自分たちの道を示してくれる「ビッグブラザー」を待ち焦がれているのだろうか。自分の脳より「優れた」人工脳にすがる人間は、思考する主体こそ人間の本質とした近代西洋思想を否定するものか、あるいは自己を捨てる仏教に近づいたといえるのか。

永遠の安らぎ

サイトのURL avyaya nirvana はサンスクリット語で「永遠の涅槃」  自分が老いていく中で、自分が見たもの、感じたものを通じて安らかな日々を得たいと思っています。

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