「虎に翼」と「おしん」

 朝ドラの「虎に翼」が人気だ。時代が昭和10年代に話が進んでいる。日本のみならず各国でも放映された、昔の伝説の朝ドラと言えば「おしん」である。「虎に翼」と「おしん」は同じ時代設定であることに驚く。東京麻布に家のある主人公は、現お茶大付属高校から大学進学、父は東京帝大卒の台湾銀行勤務という、まさに東京の「正しい意味での中流家庭」のお嬢様である。(上流は華族、大地主、政治家などの家柄を指すので、官僚や財閥企業勤務のサラリーマンは中流である)先日の放送ではごちそうにビールまで飲んでいた。方や、おしんは山形の貧しい小作人の娘で、親子が食べるものにも事欠く状態で、人減らしのために新庄の町に奉公に出される。まだ子供だから「身売り」ではなかったにしろ、奉公先での扱いは今から見れば奴隷的なものだった。生まれた環境で2人の女性の境遇は雲泥の差。今の言葉で言えば「親ガチャ」の最たるものかもしれない。寅子の生活の方がもちろん全国的には極少数であったにしろ、不遇な人生を送った人から見れば想像を超える格差であろう。

 貧富、格差はどの時代、どの国にもあるだろうが(経済的平等を夢見た社会主義社会を自称している中国や北朝鮮での格差も同じだ)、現実の姿を見ることができるのは恵まれた環境の人たちが多かったのも事実だ。レーニンも地主の子だ。だから「親ガチャ」の勝ち組の人にはそれなりの責務があると昔から考えられていたはず。名誉と富を独占する代わりに戦争になれば先頭で戦うという風に。

 今の日本で勝ち組「親ガチャ」と言えば、二世議員だろう。だが、とても彼らが矜持をもち責務を果たしているとは思えない。親が得ていたうま味を子供時代から感じ取り、それを自分が受け継ぎ、さらに孫に相続させようとしているとしか見えない。安倍、麻生、中曽根、岸田、二階・・・いくらでも名前を挙げることができる。説明責任があると言いながら、納得する説明を聞いたためしがない。丁寧に説明すると言いながら、二階のようにキレてすごめば済むと思っている奴もいる。

テレビ見ながら現実を見るとやりきれない。情けな。怒りしかない。

永遠の安らぎ

サイトのURL avyaya nirvana はサンスクリット語で「永遠の涅槃」  自分が老いていく中で、自分が見たもの、感じたものを通じて安らかな日々を得たいと思っています。

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