そごう西武デパートが外資ファンドに売却された。負債を差っ引くと8500万円の投げ売り状態だそうだ。(マイナスでなかっただけ良いとの話もあるらしいが)。住んでいる地元にはすでにデパートはなくなって久しいが、そこは買わなくてもぶらぶらするだけでも楽しめる場所だった。子供のころは行くだけでウキウキするし、屋上の遊園地でミニジェットコースターに乗って食堂で食事をするのが、年に一二度のビックイベントだった。普通の商店とは違い、田舎者にはちょっと手が出ない高級品がおかれていて、欲しくても我慢するのが当たり前の、憧れの空間であった。19世紀末から20世紀にかけて、欧米では「資本主義の最先端」がデパートであり、人々の欲望を掻き立てる場所だった。商品をこれでもかと陳列し、物欲を刺激する。
同じような感覚が本屋にあった。ぶらっと入った本屋で立ち読みして面白そうな本を探す(めぐり合う)のは自分の知的好奇心を刺激するものだった気がする。買う予定がなくて眺めているうちに買うこともあるのは、デパートのもつ消費喚起の構造と同じだ。
現代はデパートも本屋も必要としなくなってしまったようだ。消費のきっかけ・喚起は自分が実物を見て選ぶというよりネットで他者のコメントや評価で行われ、歩いて買いに行く行為もなく配達を待つだけの受動消費者である。買うまでの「経過」を楽しむことから「結果」を求めるだけになった気がする。あらゆることの「余裕・無駄」が亡くなったのかもしれない。本屋や写真屋がなくなった時には想像しなかったけれど、デパートという形態も「オワコン」と言われるのだろう。
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