スーパーに買い物に行けば、自分以外はほとんどの人がマスクをまだつけている。そこだけ見ればコロナは終わっていないようだが、観光地はインバウンド含めてどこでも大賑わいのようで、その映像がTVから流れる。景気も回復傾向で賃上げも進んだようだし、未知の感染病に恐怖を抱いていたのが3年前とは思えない。確かに、その時は有名人が亡くなるニュースがマスクの品薄と相まって日本中をパニックに陥れていた。それから3年、ワクチンが効いたためなのか、社会免疫ができたためか、それすらはっきりしないうちに感染症5類に引き下げられ、怖い病気でないということになってしまった。(政府もすっかり何も言わなくなり、これまで使った膨大な国費の精査すらしていないのではと思わせる有様)
やっと日常が戻ったともいえるが、こうして落ち着いてい見ると、本当にコロナとは何だったのかと思ってしまう。ある知人はコロナが始まってすぐに、こうしたことに疑問を発していた。自分には一種の陰謀論にも思えて当初は受け入れなかったが、結局この3年間で誰が利益を得たかに着目すると見えてくる世界があるという主張で、端的に言えば資本主義の醜悪な姿だというのである。確かに補助金をめぐる政治家の関与、企業の不正受給などはニュースになったし、国民には発表されないだろうが、ワクチンをめぐる利権などはグローバル的にすさまじいのだろう。一般国民がコロナにおびえる中で、ほくそ笑んでいた連中が確かにいたのだろう。コロナをめぐる姿とはマッチポンプ的なもの(やらせ)だったのだろうか。病気の存在もワクチンの効果も一切を否定する陰謀論にはさすがに賛同できないが、冷静に物事を見る目はやはり大事なのだと、今頃になってようやくかわかった。そこで思い出すのが『エセ―』を書いたモンテーニュだ。彼の時代は宗教戦争最中で、人々がうなされるような熱狂下にあった時に、かれは党派に与せず社会を眺めた。そうした姿勢がいつの世も大事なのだろう。
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