文部科学相の大学入試英語の民間試験をめぐる「身の丈」発言で新しい仕組みが延期された。英語の4技能(読む・書く・聞く・話す)を入試にしたいが、大学入試センターでは手に余るから、民間資格を活用するしくみしたという。何年も英語を習っても話せない日本の英語教育を改革するためにも、変更したかったのだろうか。とりあえず、5年後まで延期になったが。
なぜ、「日本人が英語は話せないか」というと「話す必要が無かったから」と、言語学者の鈴木孝夫氏が昔読んだ本の中で直截言っていた。確かにそのとおりである。他言語(他民族)との接触が少なかった日本では外国語を国民みんなが知る必要はなかったし、明治以降も外国語を話すのは一部の人たちだけで、充分国として間に合っていたのである。食うため生きるために外国語を覚えなければならない人たち(途上国の観光地にいる子供たちを見よ)からみれば、ある意味やらなくてよかった日本の方がうらやましいのではないだろうか。
「グローバル化」「他国との競争」という脅し文句で、英語を話せなければこれからは日本はお仕舞だと言わんばかりに煽ってきている。首謀者は誰かというと、IT業界と教育産業界らしい。この英語試験導入を推進した一人が楽天の三木谷氏だったという。楽天はすでに企業公用語を英語にしているし、企業サイドから見れば英語ができない人間など無用無能な存在なのだろう。また、英語試験で一番受注したのが、ベネッセで60億円で契約したという。少子化で先細りする受験産業の中で、いい鉱脈を見つけたと言えるかもしれない。受験を使った金儲けにむらがる企業と政治家・官僚の癒着の姿が見え隠れする。中高校生には見せられない大人の事情というやつか。
でもそもそも一斉のセンター試験で全員に4技能を試す必要があるのだろうか。大学の個別試験で必要な大学がやればいいだけの話でないのか。いっそのこと、センター試験もやめて、昔の各大学ごとの試験に戻してはダメなのか。文科省の官僚の天下り先がなくなるから、それではうま味がないのか。自分のようなリタイア人間にはいまさら英語もどうでもいいが、英語を必要になった若者が英語をいつでも学べるような社会教育やITを使った自己学習を援助できるようなしくみをつくった方が入試をいじるよりよほどいいように思うのだが。各人がそれこそ、自分の必要に応じてやれるようにすること、それが本当の身の丈であって、上から強制されるものではない。
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