ノートルダム寺院と伊勢神宮

 現地時間4月15日にフランスの世界遺産であり有名観光ポイントでもあったノートルダム寺院が火事になり、尖塔も焼け落ちた。世界中で話題になったが、仏マクロン大統領は5年以内に再建すると発表。これに対し、右派保守勢力は再建建造物に新しいデザインは入れるなと反発し、「黄色いベスト」運動の人たちは貧困層への対策が先だと再建優先にこれまた反対。フランス国内も大変なようだ。

 一方、退位が迫った現天皇が「ご先祖へのあいさつ」として17日に伊勢神宮に参拝した。伊勢神宮も日本の有名神社である。多くに人にとっては神聖な場所というより、「おかげ横丁」に代表される楽しい観光地になっているが。伊勢神宮は世界遺産になっていない。その理由は世界遺産は「遺産」として同じ姿を後代に伝えるためのものであるが、伊勢神宮は20年ごとに行う「遷宮」により、決して同じ姿として残ることがないからだという。

 2つの建造物はヨーロッパキリスト教文化と日本の伝統(神道)文化の違いを象徴している。キリスト教では絶対的・無謬的な神が存在し、その地上における場が教会である。人々は教会に行けば神に会えるのである。イエス像や十字架、祭壇画、壁画、天井、ステンドグラス、パイプオルガンのような音楽まで、教会に存在するすべてが神を人々に知らしめるのである。人々は教会で神の存在を「見て、聞く」のである。だからこそ、教会は永遠に残るものでなければならないから、巨大で石造りの堅固なものでなくてはならい。

 伊勢神宮は遷宮により常に「新しいもの=生命が回復したもの」になっている。経年劣化でエネルギーが枯れた(=気枯れ=穢れ)状態を、拝殿を新築することでリフレッシュさせているのである。固い石で残すのでなく、若木で繰り返すことで永遠をイメージさせているのである。そもそも、神の姿を我々は「見る」ことを想定していない。教会に比べて、シンプル質素が神社である。何も無い空間で神を「感じる」のが神道である。そして、日本の神は自然そのものでもある。山・川・岩・滝・大木などあらゆるものに神を感じていたのが古神道であろう。天皇制と結びついた後代の神道でなく、五十鈴川や伊勢の木々の清々しさが元々の神であったのだろう。

 莫大な費用をかけて再建しなければならないノートルダム寺院と建て替えが前提の伊勢神宮。いろいろ考えさせてくれた先週だった。


永遠の安らぎ

サイトのURL avyaya nirvana はサンスクリット語で「永遠の涅槃」  自分が老いていく中で、自分が見たもの、感じたものを通じて安らかな日々を得たいと思っています。

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