「黙〇〇」について 

 コロナ禍で新しい言葉がいっぱい生まれ使われた。カタカナの外来語もそうだ。(ソーシャルディスタンス、エッセンシャルワーカー、エビデンス・・・外来語の場合、日本語で言った方がわかりやすそうなものも多いが)。

 でも日本人が得意なのは漢字熟語の造語だ。黙食黙浴・・・造語だか見れば意味はすぐ分かるのが漢字の良いところ。でも知人がある式典で「国歌黙唱」と言われた時、さすがに何なんだと思ったという。(そりゃ当然だ!歌うの?黙るの?)

 自分が知っている言葉を思い出してみた。黙読黙禱黙秘黙示(録)、黙認黙殺黙照禅まで出てきた。他のものが気になり、20数年ぶりに広辞苑(第五版1998)を開いたら、黙礼黙劇(パントマイム)、黙座黙視黙止黙識(もくし)、黙従黙諾黙約黙然が出てきた。何年かすると黙食や黙浴も載るのだろうか。(黙唱はないだろう!)また黙殺の意味も無視することでなく、黙って殺す意味に変わるのか?

 黙唱というふざけた言葉があるなら、いくらでも新語ができそうだと思い、いくつか考えた。

黙尿・黙糞・・・トイレに間に合った時の安堵の声やひねり出す時の唸り声はダメ

黙寝・・・いびきもダメ

黙援・・・甲子園の応援も吹奏楽はダメで、メガホンやしゃもじをたたくものだけ高野連公認

黙雀・・・ポン・チー・ロンの音が出るボタン押し雀卓ができるかも

黙諭・・・悪いことした子供を叱るのでなく、以心伝心で良き方へ導く、聖人の姿(真の教育!?)

黙話・・・若者がすでにSNSでやっていること。電話すら恐ろしいし、対面での話はパワハラだとか






永遠の安らぎ

サイトのURL avyaya nirvana はサンスクリット語で「永遠の涅槃」  自分が老いていく中で、自分が見たもの、感じたものを通じて安らかな日々を得たいと思っています。

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