先日、知り合いから、ある人から自分が行った昔の山の記録が欲しいとの問い合わせがあったので、こちらで対応してほしいとの依頼があった。その人は1949年生まれというから72歳か。昔の会報をコピーして送ると礼状が送られてきた。自分の青春時代がよみがえるということで感謝された。
年をとってくると、精力的に動いた昔のことが懐かしく誇らしいから、記録をまとめたくなるものであろうか。昔、退職後に自分史を本にまとめて、人に配っていた麻雀仲間の先輩もいた。この種の本は大概は他者から見れば、面白くもなんともないものだが、当人は満足げであった。昔の体験を語り自分の人生を納得(肯定)したくなるのだろうが、一番嫌われる老人の姿でもあるかもしれない。
昔を振り返るというのは、後ろ向きの話である。よく前向きに生きろ、と言われる。老人にとって「前向き」の方向にあるのは、必ずいつか来る「死ぬこと」であろう。どんな華々しいものであれ、逆に悲惨なものであったとしても過去は変えようがない、受け入れるしかない。しかし、来るべき未来はもちろん未定ではあろうが、自分なりに想定(予定)して準備を「今」することはできる。未来のために今を生きることはできる。死を若い時のように忌避、嫌悪するのでなく、今の生活の延長(身近なもの)として、静かに受け入れること、それが老人が前向きに生きるということではないだろうか。生に執着せず、死に怯え慌てることなく、心平穏に生きること。
「人生100年時代。生活資金をためよう、若さと体力を維持しよう、たくさん仲間をつくろう。」この脅し文句は、金儲けのため我々に死から目をそらそうとしているだけでは?こうした雑音から離れてみることが最初の一歩かもしれない。
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