SNSの時代・・・神はどこに?

 ネット・SNSができる前は、ニュース、情報はマスコミ(TV・新聞・出版社)経由で我々の方に「一方的に」届いていた。内容の取捨も評価もマスコミが支配していた。マスコミというフィルターを通じてしか情報は受け取れなかったし、我々の方からモノ言うこともできなかった。このあり方はキリスト教カトリックのあり方に似ている。神の恩寵は教会を通じてしか与えられず、それゆえ教会の無謬性・絶対性が保証されていたし、これに疑義をはさむということはありえないことであった。しかし、絶対性(安定性)にあぐらをかき腐敗した教会を批判する形で、プロテスタントが生まれてきた。教会を介さない、神との直接の対話こそ正しい信仰とする教えは信者に個人の意識と自信を生んでいった。神と交信する資格を持つ自分という意識は一面で自分の「万能感」も生んでいき、人間から謙虚さを奪い近代社会の暴走をつくっていったともいえる。

 今、若者中心にSNSが流行っている。芸能人であれ誰であれ、昔なら「雲の上の人」と思われていた人たちと簡単に友人のようになることができる。マスコミを通さなくても、直接いくらでも「神」とあがめられる人達と「双方向で」交流できる時代である。しかも、自分が欲しい愛=意見・情報だけを選べるから、門番のように口出す存在はうっとうしいものとして忌避される。かくして、若者の新聞離れ・TV離れが進んでいき、一部のネット民からは「マスゴミ」などと揶揄される始末で、マスコミのオピニオンリーダーとしての地位は消えかかっている。

 プロテスタント運動は信仰の純粋性を求める性格から、特にアメリカで多くのセクト(小規模宗教集団)を発生させた。特徴は他者の意見を否定し自分達が正しいと信じる狭い世界観に閉じこもるものである。SNSの世界も同じで、その危険性があることは昨年のトランプと支持者の「陰謀論」や「Qアノン」の動きを見ればよくわかる。ネット時代が始まった時、多様な意見で世界が統合されると期待がうたわれていたが、逆に分断が進んでしまったようだ。

 有名人=神と直接つながるだけではない。チャンスと能力さえあれば、誰もがいくらでも神になることもできる。いわゆる有名インフルエンサーやユーチューバーと呼ばれる人たちは登録者(信者)のとっては神である。神の教えで流行も起きるし、神には莫大な献金が入る仕組みができているから、子供でもこぞって神になろうとしている。誰もが神になれる時代、神がインフレの時代。ニーチェならずとも「神は死んだ」とい言いたくなる。

永遠の安らぎ

サイトのURL avyaya nirvana はサンスクリット語で「永遠の涅槃」  自分が老いていく中で、自分が見たもの、感じたものを通じて安らかな日々を得たいと思っています。

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